: DEVOAが始まる起源 Ⅱ
2025年1月22日
日本からParisに到着した。
飛行機から降りるといつもあの独特の匂いがParisを思い出させる。頭の中はいつもサンプルが入った荷物の紛失を心配しながら手荷物を受け取る為にゲートへ向かう。
私は明日から始まる25FW展示会の為にParisに来ている。今回で2009FWからParis展示会をスタートしてCOVIDの影響で3年ぐらい渡航出来ない期間を除くと継続して13年以上、26回Parisに来て展示会を行い挑戦を継続している。
何度も来たParisではあるが、今でも展示会では自分が制作した商品に対しての自信とバイヤーからの反応に対しての不安な気持ちが入り混じるとてもカオスな気持ちでバイヤーを迎えている。毎回、それぞれのコレクションで沢山の時間とDEVOAスタッフや縫製者、生地工場の協力を得てサンプルを制作し展示会する事が出来ている。
今回の章では東京で最初の展示会と最初のParis展示会を思い出して書いてみたい。
私は東京でDEVOAを始める前の1年間だけ日本国内ブランドのセールスエージェントの仕事をしながら、自分が制作した服の展示会を行う為に週末だけ東京から愛知県名古屋市のカフェやレストランで実験的な展示会を行っていた。
セールスエージェントの仕事では日本全国のセレクトショップに対して私が担当する幾つかのブランドのセールスを行っていた。
その仕事で沢山のセレクトショップオーナー様と対峙しながら将来DEVOAの展示会の際に取引したいオーナー様との出会いがあった。
2008年1月
DEVOAは2008FWコレクションで東京にて初めて展示会を行った。展示会には私がセールスエージェントの仕事の際に出会い、一緒に仕事がしたいと思える13人のセレクトショップオーナー様に手書きで展示会の招待状を書いた。結果11人のセレクトショップオーナー様との取引がスタートした。
私は沢山の店舗との取引を望んでは無かった。
店舗オーナーが拘りを持ち、商品に対する理解がある限られた店舗との取引を望んでいたので最初の展示会に対しての結果は私にとって充分満足する結果だった。
最初の展示会場は恵比寿にある駐車場奥の展示スペースを使った。
撮影も近くの電気屋で購入した安いカメラに私自身がシャッターを押しただけの撮影で、出来る限りDEVOAの為に集めた資金を減らさない様に努力していた。
その当時、両親と銀行から借りた資本金300万円でスタートした会社であったが最初の展示会では店舗販売価格合計3000万円分のオーダーを貰った。
このオーダーに対しての材料費は約1400万円なので当然私の資金に対して材料費が足りず最初の展示会で黒字倒産状態に陥った。
私は何も経歴が無い為、銀行等から多くの資金を借りる事が出来なかった。そこでオーダーしてくれた東京の店舗「AL」のオーナー様へ相談した。
オーナーである吉原さんは元々あなたに支払う金額だからと二つ返事で私に500万円をすぐに送金した。
全く無名なブランドである私に対してオーダーの全額を先払いで送金してくれたのである。
この事が無ければ私は最初のシーズンでビジネス的にブランド自体の継続自体が難しかったと思う。
今現在でもALとの取引は継続させてもらっているがオーナーの吉原さんとお会いする時や昔の話をする度にこの事を思い出す。
ちなみにその次のシーズンも吉原さんはオーダー商品に対する全額を納品前に私へ支払いをしてくれた。そのお陰で私は今も何とかブランドを継続する事が出来ている。
最初のシーズンは単純なビジネスの仕組みに対して学ぶ事が多かったと今では思う。
2009年1月
私は人生で初めてパスポートを作り日本を出国した。
私はParis入国の際のサンプルに対する書類の手続き、展示会どころか海外に対しての経験も全く無い状況で海外展示会に挑戦した。それはまるで前が全く見えない道を歩いている状況であった。
当時のParisは今よりとても寒く、東京とは違う寒さと雪の天候と慣れない移動だけで展示会前に体力も心も疲弊していた。
最初の展示会場はマレ地区のギャラリーを借りてindividual sentimentsと言う日本のブランドと1つのギャラリーをシェアして展示会を行った。
慣れない移動からやっと展示会場へ到着してからは休む暇も無くサンプルの設営や打ち合わせが始まる。
私は当時のパタンナーと一緒にParis展示会に来ていた。当時、根拠のない自信に満ち溢れていた私はハンガー等使わずサンプルの殆どを床に平置きにして展示会を行った。
沢山のブランドがParis展示会を行う中、当時の私が海外バイヤーと対峙する上での数少ない武器は独自の哲学と独自のパターンだけだった。
その為、展示方法もブランドの個性を主張する必要があると考えた。
今思い返すとバイヤー側からは商品が判り辛く、試着する為には床から服を拾って着用しなければならなかった。
その時の私は目の前の事に必死で客観的視点など持ち合わせて無く、ただ単純に自分の主張だけを通した展示を行っていた。
私がギャラリーをシェアしていたindividual sentimentsと言うブランドは2008年DEVOAと同じタイミングで東京にてデビューしたブランドだ。そして同じ場所、同じタイミングで最初のParis展示会を行った。デビューした年は同じであったがindividual sentimentsのデザイナーは海外ブランドでの経験もあって、ブランド及び製品の完成度やデザイナー自身の知名度共にDEVOAより遥かに優れたブランドだった。
実際、展示会場に来るバイヤーの殆どはindividual sentimentsを観に来るバイヤーであった。
私のブランドは隣に展示してあるが、まるで空気の様に商品を見てもらう事は無かった。
あの時の敗北感が今では私の心の支えと探究心に変わっている。
当時のParis展示会期間は1週間程開催しており、バイヤーのアポイントも殆ど無かった為に毎日がとても退屈で何をする為にParisに来たのかを考える毎日であった。日に日に銀行口座が減っていく感覚があり、毎日頭の中を言葉では表現が難しい恐怖が支配しながらもバイヤーとは笑顔で対峙していた。
最初のParis展示会期間では4件のバイヤーがオーダーを付けてくれた。
しかし、日本に帰国すると3件のオーダーがキャンセルとなり実際には1件だけのオーダーで最初のParis展示会を終えた。
結果、日本からParisに行き1週間の展示会を行った結果はたったの1件である。勿論、ビジネスとしては飛行機のチケット代金すら稼ぐ事が出来ず父から借りた100万円は一瞬にして溶けた。
スポーツをしていた時とは全く違う敗北感と作品を見てもらえない悲しさで人生で初めて貯金も自信も全て無くなった。
私をサポートしてくれた方々に合わせる顔が無かった。これがこの当時の私自身の実力である。
ファッションの流れは良い意味でも悪い意味でも早い。
Paris展示会で負った心の傷を回復をする時間は無く、当時生活の半分ぐらいの時間を周りに見つからない様にアルバイトをしながらまた次回のParis展示会に備えるしか私の道は無かったのだ。
単純に日々の生活すら困窮していた。
しかし、負けたままでは終われない気持ちが自分の心を支えていたのだ。
2009年6月
また同じ場所、同じブランドとギャラリーをシェアして展示会を行った。
前回と同様に展示会で商品を説明する時間より外で日光浴する時間の方が長く、毎回の様に私のブランドはまるでそこに何も置いてないかの様にバイヤーの目には止まる事は無かった。
この展示会では5件程の店舗からオーダーを貰った。しかしビジネス的には成立しない内容だったり店舗からの支払いに対する不安要素ばかりでオーダーを貰った感覚は無かった。
2回目のparis展示会後、帰国する飛行機の中では悲しむ時間も無く次の事を考えていた。
今よりこの当時の方が知識や先を見る能力が低い事もあるが精神的には強かったかも知れない。色々な事が初めてだった私は、子供の様に自分がやりたい事に対して集中出来たのかもしれない。勿論、この時も資金を作らなければ次が無い考えが常に頭を支配していてデザインばかりを考える余裕は無かった。
2010年1月
DEVOAとしてParis展示会3回目。
この時から少し展示会場の空気が変わった。
理由はわからないが私とパタンナーは、バイヤーの反応と展示会場の空気感が前回迄とは明らかに違っている事を感じ取っていた。
勿論、当時のセールスエージェントがプロモーション活動を継続してくれた事でバイヤーの来場者の数とDEVOAを見る目が変わっていった事は理解しているが不思議な高揚感に包まれていたあの感覚を思い返すと、とても懐かしい。
展示会当時はアルチザンな雰囲気の商品を取り扱う店舗がとても増えた時期でDEVOAが制作していた内容と相性が良かった事も販売が伸びた事に繋がったと思う。
この頃からやっとParis展示会が少し楽しくなってきた。
3回目のParis展示会で海外取引先店舗は8件程しか無かったが取引店舗の件数よりも自分自身の精神的な部分として満足していた。
現在は商品制作や制作以外でもDEVOAに関わる方々の継続的なサポートがあり当時より精神的に少しだけ成長を遂げ、素直にバイヤーと笑顔で対峙出来ている。
製品に対する想いは当時と変わらないが今もまだ夢の途中の様な感覚の中で生きている。
Parisで展示会自体を行う事は簡単だ。
Parisで展示会自体を継続して挑戦する事こそがとても難しい。
何故ならば制作する商品だけが良くても、デザイナーの人間性だけが良くてもブランドが継続する事は困難なのである。
そのブランドに対する想いを持った縫製工場、生地製作者、スタッフ、取引先店舗までが1つのチームなのである。この繋がりを継続する事が何より難しくビジネスが大きくなればなる程に沢山の弊害が起きる運命にある。
私も周りの支えが無ければ1シーズンで心が壊れていたと思う。DEVOAに関わる全ての方々にこの場を借りてお礼申し上げます。
そしてDEVOAを購入してくれているお客様にも心から感謝を贈ります。
次回はParisで起きた奇跡…
その話はまた半年後かな。