: DEVOAが始まる起源 Ⅲ
ノートルダム寺院での奇跡
この章ではファッションとは関係無いお話しになりますがDEVOAと言うブランドは私自身が反映されています。
志や思いやりに対する影響は私自身を成長させ、ブランドを大きく変化させます。
私の心作りや思いやりに対して影響を与えた不思議な真実のお話しです。
私は幼少期から自分が視認出来ないモノや実在しないモノは信じる事が出来ず、基本的に自分自身が経験、体験した事だけを信じて生きてきました。
そんな私がここからお話しする内容は不思議な体験ですがその出来事の全ては私の目の前で起こり私の心に対する影響を与えました。
その目に見えない力と出来事は私にとても素敵なサプライズを体験させてくれました。
ここからは幼馴染の友人である『英介』のお話しです。
私と英介は5歳ぐらいから15歳まで同じ学校に通い、お互いの家の距離が徒歩5分ぐらいにあったので幼い時から毎日一緒に通学していた。
英介の家庭はケーキ屋さんを営んでいた。
1階にケーキ制作アトリエと立派な販売スペースがあり、その建物の2階に住居スペースがある比較的大きな家でありローカルエリアとしては比較的裕福な家庭であった。
英介は学校から帰宅するとお母さんから毎日お小遣いを貰いそのお金で私と一緒にお菓子を買いに行く事が幼少期のルーティンになっていた。
お互い5歳ぐらいから一緒に沢山の事を経験し、その時の思い出は今も心に記憶している。
私は高校からレスリングの為に実家を離れて暮らし、英介は地元の高校に通いそれぞれの人生を歩んだ。
私がレスリング選手の頃は休日が殆ど無く、実家には1年に1度ぐらいしか帰る事が無かったので英介とは電話で話をする事は有りましたが15歳から再会する機会は無かった。
それから年月が過ぎ、製菓専門学校を卒業した英介は福岡県にある有名ホテルのパティシエとして就職した。
ホテルで経験した事を実家のケーキ屋さんで更に昇華させ家族経営であるケーキ屋さんを継承するという未来が見えていた。
英介が23歳の頃、彼の体調に異変が起こった。
彼の病名は急性白血病だった。
そこから直ぐに闘病生活が始まったが残念ながら彼の鼓動は闘病生活から長く保つ事が出来なかった。
そこから約7年後、私はDEVOAで2回目のParis展示会に挑戦する前に英介の事を思い出した。
私は英介の仏壇に手を合わせる為に東京から彼の実家に行く事を決めた。
私と久しぶりに再会した英介のお母さんは私を自分の息子の様に迎えてくれて、私と英介が一緒に経験した幼い頃の思い出話や英介が経験した事、英介が経験したかった事など涙を流しながら沢山話をしてくれた。
それはまるでその場に英介が居て、一緒に昔話をした様な感覚だった。
私が英介のお母さんと同じ立場にある場合、その心はどんな悲しみと無念にあるか想像する事が出来ない。
私はその時、英介のお母さんに1つ提案をした。
その提案とは英介の形見を預かりその形見をParisに置いてくる事だった。
英介がParisに行きたかったかどうかは分からないが、私が彼の立場であればParisでもパティシエとして経験したかっただろうと感じ彼の形見を預かり彼の魂をParisに連れて行きたいと思った。
その為にParis展示会に行く前に東京から片道6時間かけて英介の実家に行った。
英介のお母さんはその提案を喜んでくれて彼が生前まで使っていた、英介の名前が書かれたアパートの鍵、『英介の鍵』を私に託してくれた。
それからDEVOAの起源Ⅱで記載した通りの内容でParis展示会はスタートする。
『英介の鍵』と一緒にParis観光 / セーヌ川のほとり
展示会後に私は『英介の鍵』と一緒にParisで有名な場所を観光した。
その当時、2回目のParis展示会だったので前回行けなかった観光地にも沢山行った。
私は帰国前の最後の日にノートルダム寺院の中を『英介の鍵』と一緒に一周した後、隣のセーヌ川へ流す予定だった。
私は『英介の鍵』に名前が書いてある正面を外側に向けて両手で鍵の先端を持ち、まるで十字架を持って歩く様にノートルダムの中を歩き回った。
モンマルトルの丘からの景色 / 2009年当時のパレロワイヤル / 2009年当時の美しいノートルダム寺院
1番初めにParis展示会に来た際、ノートルダムに行った事があったので今回は2回目のノートルダム観光となった。
前回来た時は観光客は少なくゆっくりと中を見て周る事が出来た。
しかし、今回『英介の鍵』を持って来た時は平日にも関わらずノートルダムの入り口の外側には入場待ちをする人々が居る程に観光客で混雑していた。
私は仕方無くその入場待ちの列に並び15分程度待った後に入場した。
ノートルダムの中では他人と常に体がぶつかる程に観光客が密集し混雑した状況だった。
私は必死に『英介の鍵』を握っている手を体の中心に持ち、観光客にぶつかりながらノートルダムの中を『英介の鍵』と一緒に歩いて回った。
私はその時財布に入っていたコインの全てをそのフロアの蝋燭に祈りと一緒に置いて回った。
その後私はゆっくりとノートルダムの中を歩き終え出口に向かった。
しかし、私の胸元に握っていたはずの『英介の鍵』は手元から消えていた。
私はノートルダムのフロアを1周する間に『英介の鍵』を紛失したのだ。
確かに沢山の観光客と肩をぶつけながら歩いたが、常に気をつけていたので『英介の鍵』を紛失する事は無いと思っていた。
そこから同行していたパタンナーと一緒に広いフロアの大捜索が始まる。
探している最中も沢山の人の中に紛れ、観光客の目線はノートルダムの素敵なステンドグラスやパイプオルガンなどの上側を見ながら歩いる人達が殆どの中、私達2人だけが中腰体勢で床を見ながら歩くと言う不思議な構図が出来上がった。
小さな落とし物を探すにはとても広いフロアを2人で1時間ぐらい探した。
私達はこれ以上探せない程にフロアを縦横無尽に歩き回ったが『英介の鍵』を見つける事は出来なかった。
大切な鍵を手元に握っていたにも関わらず、紛失した自分に対してとても納得が行かなかった。
私の考えは英介がノートルダムの中で過ごしたかったのだと私自身を説得させる考えに変わっていた。
完全に諦めてノートルダムの出口に向かう途中、私の前に1人の神父が立って居た。
私は最後の頼みとして私が鍵を紛失した事、そしてその鍵はとても大切な事を伝えた。
私はフランス語が全くわからない為、携帯アプリの翻訳ソフトを使って自分が伝えたい事の全てを必死に入力した。
そして携帯の画面に出た内容の意味が合っているか分からないフランス語を神父へ見せた。
すると神父は何事も無かった様にポケットから一つの鍵を私に渡した。それは間違い無く『英介の鍵』だった。
同行して居たパタンナーと私はその瞬間に抱き合いながら喜び、神父にも沢山お礼を伝えた。
すると神父は私達に片言の英語でわかりやすく話を続け、お互い少しの会話をした。
神父『私は1度日本に行った事がありますがあなた達は何処から来ましたか?』
私『トウキョウ・ジャパン』
神父『そうですか、私はトウキョウやキョウトには一度も行った事がありません』
私『あなたは日本の何処に行った事がありますか?』
神父『私が行った唯一の場所はナガサキだけです。』
私『………!!!』
その瞬間、私とパタンナーは目を合わせた。
その話の後、私は神父に対して私の出身が長崎県である事、そして何よりこの鍵を持って来るまでのストーリーを必死に神父へ伝えた。
神父は『これは運命だね』と一言だけ私に伝えて去って行った。
それはとてもとても不思議な体験だった。
その時ノートルダムの中には沢山の観光客と神父らしき人物は4人ぐらい居た。
何故かその神父だけが私達が向かった出口に居て、私は自然とその神父だけに助けを求めた。
しかもその神父と会話をすると日本に行った事がある唯一の場所は観光地としてはとてもマイナーである長崎県と言う事。
その神父以外のフランス人に尋ねても日本に初めて行く場所が長崎県と言う人は殆ど居ないと思う。
奇跡に近い確率と事象の流れで私の手元に『英介の鍵』が戻ってきた。
それはまるでノートルダムのフロアを英介本人と私がそれぞれ別行動で好きな様に鑑賞した後に帰る際に出口で待ち合わせをした感覚であった。
そしてこの時、私達は何かに護られている感覚があった。
その不思議な体験の後、予定通りに『英介の鍵』をセーヌ川の流されにくい手前側に投げた。
セーヌ川に投げ込む
日本へ帰国後、私はノートルダムのフロアとセーヌ川のほとりで撮影した『英介の鍵』の写真2枚をA3サイズに拡大して現像し額装を施した後、英介のお母さんへ送った。
その額装した写真を受け取った英介のお母さんは泣きながら私に電話で感謝を述べ何度もお礼を言ってくれた。
私は『英介の鍵』をセーヌ川に投げる前に起こった『ノートルダムでの奇跡』をお母さんに伝え、私もこんな素敵な体験を英介からプレゼントされた事に対しての感謝を伝えた。
実際に額装した写真
その体験後、私はParis展示会に行く度にセーヌ川にある『英介の鍵』がある場所を毎回訪れ、手を合わせながら英介の魂に対して私は次のParis展示会も人生を賭けて挑戦する事を誓っている。
『昨日とは過去の事
明日とは未知の事
今日の日はもうけもの
それは天からの贈り物』
※ Quoted by Alice Morse Earle
私は服飾専門学校に行った事が有りません。
デザインして服を作った経験もParisに挑戦した当時は3年程しか有りませんでした。
DEVOAを始めた当初はその自分の過去に対して、同じくParisに挑戦する私以外の他デザイナー達と比べると余りにも経験不足である事に対してとても緊張していました。
そして展示会の時は笑顔でバイヤー達とは向き合っていながら、頭の中を支配していた内容は縫製工場に対して工賃を支払う事と帰国後の国内展示会でのオーダー集計の事ばかりでした。
自分の過去や未来に対しての心配事を考えていました。
『英介の鍵』から今日と言う日が1番大切な積み重ねである事を学びました。
今現在でも私の会社はとても小さい。
したがって毎回の展示会が会社としても勝負となる。
殆どの人間が不安を抱え未知である未来の不安に悩まされ生きている。
しかし、今を楽しむ事を大切に考え沢山の方々に感謝し私の鼓動が止まるまで、楽しんで制作を続けたいと改めて思います。